願いごとは神様をがっかりさせる

あるお花屋さんをやっている人が、私に質問をしました。
「10年前に店を出しました。10年間で、小さくてもいい、10軒の支店を持ちたい、10軒のお店を持ちたい、と願ってやってきたのですが、一軒も増えていません。どうしたらお店が増えるのでしょうか」


 このモノが売れなくなっている時代、不況の時代に、まず削られるのは、お花の費用などではないかと思います。そういうときに花屋を開いて、10年間存続しているというのはすごいことだと思いました。


私はその人にこういう質問をしました。
「お客さんがよく来てくださるのですね」
「もちろんそうです。皆さんよく来てくださいます」
「お店は辛うじて成り立っているのですね」
「本当に辛うじて成り立っています」
「そうですか。では、そのお客様に感謝してみたことがありますか。手を合わせて感謝したことがありますか」
その方は「えっ」と言ったきり次の言葉が発せられませんでした。


「店を持ちたい。店を増やしたい。もっと売上を上げたい」そのことばかりを念じて、決して今の状態で満足するとか、今の状態に感謝をするとかいうことをやってこなかったらしいのです。


「神様は、その一言を聞いて、ずいぶんがっがりしているのではないでしょうか」と、私は申し上げました。
家族みんなで力を合わせてやっているから、神様もそれなりに応援してくれました。その応援の素晴らしさ、ありがたさもわからずに、「もっと増やしたい。もっと増やしたいのに増えていかないではないか。売上が上がらないではないか」と思っているのを、神様はたぶんとても悲しく上から見守っていたと思うのです。


「売上を上げてください。商売をもっと繁盛させてください」と願うこと自体がもうすでに「今の状態では気に入らない。このままでは不満なのだ」と、神仏に宣戦布告しているようなものなのです。宣戦布告された神や仏は、その宣戦布告をした人の味方になることはたぶんないでしょう。


「まがりなりにも何とかやってこれた。本当にありがたいことだ。神様、ありがたいです。仏様、ありがたいです。皆さん、ありがたいです。ありがとう」とそれを一万回言ったとすると、その「ありがとう」がまた一万回言いたくなるように現象がセットされる、というのが宇宙の大法則です。


「言葉が現象化する」というのはそういう意味であって、願い事や要求をぶつけたらそれが必ずかなうという、そういう法則になっているのではありません。
願い事や要求というのは、結局は不平、不満で、そうなっていないことを恨んでいる、呪っているということにほかならないのではないでしょうか。感謝をするということから一番遠いところにあるのかもしれません。


そのことがわかってしまったら、そのあとから出てくる言葉は「うれしい」とか「楽しい」とか、「幸せ」「愛している」「大好き」「ありがとう」という言葉に尽きます。「ありがたい」「ありがとう」と言った言葉の数だけ、また来年それを言いたくなる現象が降ってくる。それを考えただけでも、楽しく、ワクワクするではありませんか。

小林 正観